365枚

娘が生まれてから1日1枚だけネガで撮影している。
1年たてば365枚、ずらりとコマを並べたい。
これは、その可能性も予定も何にもない頃から、いつか子供が出来たらやりたいと思っていたことだ。
撮影に使っているカメラは、18歳の時にアルバイトをして貯めたお金で初めて買った一眼レフカメラ。
18歳の時にこのカメラをそういう用途で使うとは思いもしなかったんだからなんか感慨深い。
フィルムも5本目。娘は今日で5ヶ月。母親業も5ヶ月。
昨日までしなかったことを今日突然やるようになったりするのだから
なんていうか生物から人なるものへ育っていくのに立ち会わせて貰っている感じだ。


先日久々に荒川サイクリングを走った。
今の私にとっては貴重な一人の時間。
夕暮れ時の雲間から射すレンブラント光線に、世界は美しいと感動する。
だけれども、そんな時ですら娘の事を考えていた。
あー、娘が生まれる前はこういう時私は何を考えていたんだっけか。
今ではそれもよく思い出せないくらい生活って変わるもんだ。
1,2ヶ月の時のしんどい気持ちも今ではちょっと笑って振り返ることが出来る。
今は、一人でぶらぶらする時間が中々持てない事が
不満とまではいかないけどちょっと残念。
結局誰か(主に夫)に娘を見ててもらわないと出られないので
自分の自由というものが誰かがいないと成り立たないって事にちょっと愕然としてしまったりもするのだ。
早く一緒に色々な街を歩けるようになるといい。

 ぢっと手をみた。

4月から娘に服用させてた薬が今日でやっと終了した。
4月の時点では何の疑問も持っていないようでニコニコと苦い(らしい)薬を飲んでいたのだけど
5月に入って娘生後4ヶ月を迎える頃よりあからさまに嫌な顔をしたり口をムーっと閉じたり舌を突き出して拒否したり、と
日に日に投薬が大変になって騙し騙し与えていた。
で、それも今日で終了。
こんなこと一つとっても新米母としては「大変だな」と感じてしまってたのでちょっと安心。
いや、この先薬を飲ませることなんて多々あって
さらに自我が出てくるのだからもっと大変になるのだろうけど。


生後4ヶ月。私の母親修行も4ヶ月目ということだ。
こうやって今わたしは育児に埋没している感じ。
非常に狭い世界で生活しているのだけど子を産み育てる事で視野は確実に広がった感じがある。
ただやっぱり仕事をしていないことがストレスとまではいかないけどマイナス感情に動くことがある。
それってやっぱり金銭的な問題なのかね。
日々の暮らしではお金を使う事が殆ど無いのだけど
それって、たまに欲しいものがあっても収入が無いから我慢してしまうからなんだろうなあ。
いや、育児休業中なのでいくばくかの手当てがあるにはあるが貯金しないとな、とか考えてしまう。
第一、育休中でも税金は払わなくちゃいけないし
社会保険料は免除してくれているものの、何故か産休期間の分は免除にならないので
その産休中の社会保険料と毎月の税金を合わせたら30万近く後で支払わなくてはならないのだった。
そう考えると、産休期間に保険組合より支払われる手当金もその税金支払いに当ててそれでパアだ。
まあ、そんな手当てをいただけるだけマシなんだけど。


女性の出産と仕事に関しては妊娠してからずーっと考え続けている問題でもあって
いまだもって自分の中で正解のようなものも出ないことだけど
出産することが不利とかデメリットと感じないと言ったら嘘になる、やっぱり。
女の人の負担って物凄く大きい、やっぱり。
まだ4ヶ月だけど、そんな短期間でも少子化になるの分かるなーって思ってしまったことが何度もある。


自分の中でどう折り合いをつけて行くのか、どういうことを正解としていくのか
職場復帰するまでに光が見えるといいな、と思う。

 文學のたくわえ

長年こどものできない夫婦がいて、それ以外の理由でもなんとなくギクシャクした間柄になっている。
ある日、女がバーだか喫茶店だかで一人たそがれていると
写真家だと名乗る男が女の横顔を無断で撮影してしまう。
後日またその写真家に会い、その時のポートレートを見せてもらうと
そこには自分でも見たことの無いような、なんというか、なまめかしいような表情の女の顔がうつっていた。
暫くして女は自分が身ごもったことを知る。
女は、自分が身ごもったのは、あの写真家にシャッターを切られた瞬間に違いない、と確信する。


向田邦子の小編のエピソードだ。
もうタイトルも忘れてしまったし内容もおぼろげなので細部は違っているかもしれない。
けれども、ここで強く印象に残っているのは
やはりシャッターを切られた瞬間に身ごもったと考えるくだり。
写真が撮影された経緯だとか写真家との間に何かやましいものがあったわけではないけれど
女はこの写真を誰にも見せてはいけないものだと考える。
自分がこれを読んだのは何もわからぬ高校生だったのだけど
それでも「なんか良いな」と思った。
向田邦子には「なんか良いな」が沢山ある。
その「なんか良いな」の大半は直接的な表現をせずに婉曲に、しかし美しく語る点にあると思われ
年端も行かない高校生にとって、「なんか良いな」からは沢山の「大人」を学ぶことが多かった。
先日、上記の小編のエピソードを断片的に思い出した時に
高校生の時よりも、ちょっとだけ「わかる」ようになっているな、と思った。
今また向田邦子を再読したら更に面白いだろうな、と思った。
手元に残っているのは『あ、うん』と『父の詫び状』だけなので
いつか時間ができたら全集などを紐解きたい
否、きっと四十代になってさらにまた感じる部分が多くなるのじゃないかなこれは、と思った。
こうしてみると、向田邦子作品に限らず、文學に至っては早熟だった私の場合
十代から二十代前半にかけて吸収した文學を
以降は年々反芻し咀嚼し焼きなおして楽しんでるだけな気がする。
勿論新しいものも読むには読むけれども、こうやってエピソードを思い出すほどには心に残ってこなくなってしまった。
だからもうあんまり本を買う気もしない。
そう考えると「本は若いうちに沢山読んでおけ」という押し付けがましい言葉は
私にとっては金言だったな、と思う。

病院付き添い中思いのほか読書時間が取れた。

星間商事株式会社社史編纂室

星間商事株式会社社史編纂室


ドラマ『ショムニ』みたいな陽の当たらない部署、社史編纂室の面々が会社に過去の悪行を暴き、コミケで暴露社史を売る…という話。
WEBちくまで連載されてたやつだ。設定面白いし社史編纂室の同僚達が良いキャラで楽しめたんだけども
主人公とその彼氏の人物像や作中に更に出てくる小説(こういうの劇中劇でなくてなんて言う?)の感じとかなんだか読んだ事がある気がする…って思ったら

『ロマンス小説の7日間』そっくりだった。焼き直しの部分が色濃いような?
光


圧倒的に暗い。同じ作者とは思えない。でも本質的にこういう人なんだと思う。
津波に飲み込まれてなくなった島で生き残った3人の子供。大人になるとあんまり魅力的ではないんだな。残念。
あとちょっとコインロッカーベイビーズを思い出した。
私は赤ちゃん (岩波新書)

私は赤ちゃん (岩波新書)


松田道雄の本は面白い。これは翁が赤ちゃんの立場になって書いたエッセイ。
1960年代に書かれたものなので今ではビックリな育児が出てくるけど。

 4年目桜、4月

あっという間に4月になり、引越す前から数えたら王子の桜を見るのは4年目。
私はまた一つ年をとり、そして今日で娘は生後3ヶ月になった。
体重は標準値を下回るくらい、身長は標準値ど真ん中くらい。
小さく生まれた子なりにどうにか育っている。
最近はあやせばよく笑い(アヒル口の形になる)
もっともゴキゲンになった時は声をたてながら大の字になり足をバタバタする。
オレンジ色の物が大好き。
と、このオレンジへの執着は娘の入院先で気付いた出来事だった。
そうなのだ。二十日ほど前に、娘が発熱し救急外来→入院という事件が起こった。
幸い大事には至らなかった(と思いたい)ので3ヶ月目の今日は無事に家で迎えることが出来たが
最近よく笑うようになったなぁーという矢先の入院、母子分離生活だったので
入院していた12日間の中でかなり情緒的成長をしたと思う。
どんな状況でも育っていくんだなぁという生命のたくましさとはかなさを
そして生命を預かっていることの重さ、日本の全母親へのプレッシャーを
私は病院へ付き添いに向かうバスの中でいつも考えていた。
今回娘が病気になったことだって、誰のせいでもない(と思いたい)けど
やっぱり自責の念を抱かずにはいられなかった。
それは親なら当たり前の感情なのだろうけど、その、親だからっていう意識の強さは
つきつめていくと自分をも追い込むことになる。
生命を預かる重大さ、なんとなくそれは母親一人にのしかかるような、そんな雰囲気が今の世の中には、ある。
ああそうだ、母親って辞める事が出来ないんだって今更な事に気付いた。
母親を辞めたいわけじゃないけれど、この重圧はちょっと勘弁。下ろしたい。
入院中はテレビを見る余裕もなかったけれども
連日ニュースで報道される虐待の事件
それだって裏を返せば、母親であろうとすることの社会的重圧に耐えられなくなってっていう背景があるのではないかな、と漠然と考えるバスの中だった。答えはない。

 雛

弥生三月。相変わらず寒い。けれども道端には沈丁花が咲いている。
実家の父が、今ではもう飾られなくなった私の雛人形を突然飾りたくなったらしく
一人で雛人形を出して飾っていたというのを母から聞いた。
それで思い出したのが芥川龍之介の『雛』
初めて読んだ二十歳くらいの頃でも物凄く良い話だったっていう印象が残っていたので、今回読み返してみたのだけど
若輩ながら人の親となった今読み返したら更にじんわりする話だった。

河童 (集英社文庫)

河童 (集英社文庫)


余談だけども『雛』は集英社文庫版の『河童』に収録されていてそれで読むのがオススメだ。
『河童』をはじめ芥川のぼんやりとした不安へ突き進むプロセスがじわじわ感じられる短編ばっかり入っている。
そんな中で『雛』は異色を放っているのだけど。


先日は娘の初節句を迎えた。
まだ何も解らない新生児なのでどうということもなく
実家の親に贈ってもらった雛を一人で飾った程度なのだけど
ああこれから毎年この娘と雛を飾ったりするのだなあと感慨深く思った。
この先、桃の節句が来るたびに
産後クタクタの体に鞭打って極寒の中浅草橋まで行った時の事。
それでも無理して自分で選んでよかったなって思い出すんだろうな。
老朽した雛を飾ってみたくなった父の気持ちが分からなくもない。
自分にとってなんとも無かった行事が特別なものに変わった。
それは桃の節句だけじゃなくて他にも色々増えていくのだろう。

神去なあなあ日常

神去なあなあ日常


林業を舞台にした小説。
変わった世界だから期待してたんだけど
林業の世界も、村の人達の描写もどちらも中途半端な印象。この人の作品はバラつきあるなあ。
かのこちゃんとマドレーヌ夫人 (ちくまプリマー新書)

かのこちゃんとマドレーヌ夫人 (ちくまプリマー新書)


かの子ちゃんという小学1年生の女の子を基点とした中編。良かった。
今のところ万城目さんは全部面白く読ませてもらってる。
まずかの子ちゃん、友達のすずちゃんがイキイキとしていて良いし
マドレーヌ夫人と名づけられた猫、犬の玄三郎、鹿男あをによしとリンクしていることを匂わせるお父さんの存在。
小さな小さな謎、最後の種明かし、泣ける。