4年目桜、4月

あっという間に4月になり、引越す前から数えたら王子の桜を見るのは4年目。
私はまた一つ年をとり、そして今日で娘は生後3ヶ月になった。
体重は標準値を下回るくらい、身長は標準値ど真ん中くらい。
小さく生まれた子なりにどうにか育っている。
最近はあやせばよく笑い(アヒル口の形になる)
もっともゴキゲンになった時は声をたてながら大の字になり足をバタバタする。
オレンジ色の物が大好き。
と、このオレンジへの執着は娘の入院先で気付いた出来事だった。
そうなのだ。二十日ほど前に、娘が発熱し救急外来→入院という事件が起こった。
幸い大事には至らなかった(と思いたい)ので3ヶ月目の今日は無事に家で迎えることが出来たが
最近よく笑うようになったなぁーという矢先の入院、母子分離生活だったので
入院していた12日間の中でかなり情緒的成長をしたと思う。
どんな状況でも育っていくんだなぁという生命のたくましさとはかなさを
そして生命を預かっていることの重さ、日本の全母親へのプレッシャーを
私は病院へ付き添いに向かうバスの中でいつも考えていた。
今回娘が病気になったことだって、誰のせいでもない(と思いたい)けど
やっぱり自責の念を抱かずにはいられなかった。
それは親なら当たり前の感情なのだろうけど、その、親だからっていう意識の強さは
つきつめていくと自分をも追い込むことになる。
生命を預かる重大さ、なんとなくそれは母親一人にのしかかるような、そんな雰囲気が今の世の中には、ある。
ああそうだ、母親って辞める事が出来ないんだって今更な事に気付いた。
母親を辞めたいわけじゃないけれど、この重圧はちょっと勘弁。下ろしたい。
入院中はテレビを見る余裕もなかったけれども
連日ニュースで報道される虐待の事件
それだって裏を返せば、母親であろうとすることの社会的重圧に耐えられなくなってっていう背景があるのではないかな、と漠然と考えるバスの中だった。答えはない。