紙の匂い

断捨離。流行ってますね。
この間も友達とちょっとそんな話をしていて、ああやっぱり流行ってるんだと認識。
でも私も友達も実際に本を読んでみたわけではないので詳しくは分かってないんだけど
この『断』『捨』『離』って言葉が潔くってキャッチーで惹かれるものがあるのかな、と思ってみたり。
私の一番の理想はスッキリ暮らすことなのだけど
一人で生活でもしてないとそれはかなり難しいこと。
家族の持ち物はそう簡単に処分するわけにはいかないので
少しづつ自分の持ち物を処分していって満足感を味わっている。
まずCDをだいぶ捨てた。
今はituneという便利なものがあるし
とてもステキなアルバムジャケットにもあんまり執着しなくなってしまった。
なんていうか、
段ボールの中にとても良いデザインのジャケットが入っているとして
それをまた次の引越の時に入れたまま別の場所に運ぶ作業が不毛に感じてしまって
そうやってただ閉まっておくだけのものを溜め込むなら捨ててしまえという気分になった。
着ない服も然り。いつか着るかもと思ってとっておくのは無意味なのかもしれない。
否、子育て中の場合は着られる服が限られてくるから今着られない服が多くなるのは仕方ないかもしれないけど。
でも、長く着られる服を少しだけ所有したいという気持ちも出てきて
それをやるには質の高いもので少数精鋭ワードローブを編成する必要があるので財布は痛い。
マーガレット・ハウエルとジョン・スメドレーのニットは1枚持っていたいと思う秋。
そういう定番志向に流れつつあるのは年取っちゃったのかなんなのか…
ま、何か定番を買い揃える前に、安物で役立たずばっかりのワードローブをもっともっと整理しないといけない。
本。これが一番ネックな存在。
一人暮らしを始める時にだいぶ実家に置いたり処分したり少数精鋭の本を持って出た。
そして夫と暮し始める時にもだいぶ処分した。
結婚以来、私自身は殆ど本を買わなくなって
図書館が自分の本棚と考えることで殆ど増えなくはなったけれど
それでもまだ減らせないかなと考える。
でもやっぱり想いいれのある、十代の頃夢中になって読んだ本って捨てられないな。
大方の純文学を青空文庫で読めるようになったところで皮膚感覚として違うな、というのはある。
もっともっと電子書籍が身近になれば紙へのこだわりもなくなるのだろうか。
たかが文庫本一冊を捨てたところで焼け石に水だ、と考えていまひとつ捨てるに踏み切れないのだけど
その辺の踏み切りも「断捨離」本を読めば書いてあるのだろうか?
最近の私はこうしてモノの整理ばかり考えている。
いやー子供がいると生活を見直さざるを得ないことばっかりだ。
子供も明日で9ヵ月だ。