破

2週間も前の事になってしまうけどもエヴァ破、観てきた。
1997年、あの夏から12年。
エヴァと、そして自分を取り巻く環境の変化を考えると
みんなはるばる来ちゃったんだなぁという昔日の想いであった。
「Air/まごころを君に」を観にいった頃は雑誌のぴあで上映会場をチェックして行ったけど
今ではインターネットで一瞬で調べてそして指定席まで事前にネットで買える。
といった単純な事に始まり、ネット環境にあるなしの差異は大きい。
ネットがあるからこそ鑑賞前も、最中も、後も
なんていうか情報や感動の共有がそこにあるような印象が非常に大きかった。
12年前、ネット環境が無く友達も少ないわたしは
エヴァの話を誰かと話したくて話したくてたまらなかったけど
周りにはそんな話が出来る友人は皆無に等しかった。
心の中にモヤモヤがたまってたまってそりゃぁ辛かった事などを思い出した。
いま、もしそんなモヤモヤが貯まっても
いや、貯まる事はないのだけど
膨大な情報や、バンバン開け放たれる知覚への扉だとか
それらは全てネットがあることで持て余すことなく「誰か」と共有する楽しみがあるように思える。
よいかわるいかは別として。


エンドタイトルが終わった後に劇場に起こった拍手。
私も思わず拍手した。
私の拍手は、映画そのものに対する賞賛と、「共有」に対して。


映画鑑賞から数日たって蝉の音を聞いた。
嗚呼、夏が来て、蝉の音を聞いても
私はもうエヴァを思い出してキューっとなる事は無いのだろうな。
という事に気付いた。
そうなのだ
破はとてもエンターテイメントな作品でとても良かったのだけど
あの、胸を刺すような印象的な蝉の音はドコにも出てこなかったし
麻薬のようにひたひたと侵略してくるような印象的な台詞回しも無かったのだ。
そう考えると私はずいぶんセンチメンタルな部分で惹かれ続けていたのかもしれない。
ああでももう一回観たいな、破。