生き死に

今日は二二六だ。
って事を毎年書いてる気がするけどそうでもなかった。
って事を去年の日記にも書いていた。id:mico315:20080226
今日の帝都は二二六らしいピリリと寒い一日だった。
気がつけばもう二月も終わりで
気がつけば同級生の三回忌も過ぎていた。
二月に入った時に「ああ今年はもう三回忌なのだな」と考えてたのだけど
その当日はその事などすっかり忘れて過ごしていた。
日々淡々と過ぎていく。ホントに早い。年をとるのが早い。ライフイズヴェリーショート。正にそんな感じ。
彼の人の時間はあそこで止まったままで自分たちだけが年をとるの、凄く変な感じだ。


ユニコーンが16年ぶりに復活した。何かと目にして昔の歌を聴く機会も増えてそれも変な感じ。
新曲の『HELLO』って曲、あれを聴くと私はしみじみと、加齢と、人の「生き死に」について感じ入ってしまう。
ああこんな歌を歌うようになったんだなあ年取ったんだなあ
40にもなれば色んな生き死にに対面してしまうんだろうなあ、なんて。
そして『HELLO』を聴いて感じ入る私にも16年の歳月が流れているのだから
「生き死に」ってやつがグッとリアルになった。なってしまった。


保険も見直そうなんて勉強してちょっと真面目に「ミライ」を考えたせいもあるんだけど
最近しょっちゅう「死」について考える。
避けられない事象として「死」ってあるんだなってことをずーっと考える。
昔はもっともっとドライかつ自虐的に「死」を捕らえていたけど
独りだったからだろうか…別に何も変わらないやというか…どこかそれは絵空事だったのかもしれない。
結婚した今、自分の家族が出来たうえで「死」を考えた時の恐ろしい喪失感。
もっと若い頃に考えていた「死」とは全然違う感覚。
別にそのいつか分からない「死」に対して脅え暮してるわけではないけど
いつかかならず誰にでもそれはやってくるんだな、ということ。
どうやっても避けられないんだってこと。考えてしまう。
現実問題、親は高齢なわけだし…。


ただ、以前は、例えば大病なんかして難しい治療だったら無理に処置しなくていいやとか思ってたけど
そのあたりの考え方が家族ができた事で変わっちゃったかもしれないな。
自分の死はともかく、連れ添う人の「死」に対してはギリギリまで闘うんじゃなかろうか。
可能性が低くて莫大な医療費がかかろうともそれに一縷の望みを託してしまうんじゃないかなーと思った。
だから、保険は必要??いや、まあそれはもうちょっと検討ってことで。