蜜子 観覧車

蜜子にとって、涙を流す場所というのは浴室しかない。
一人暮らしを始めて10年にもなるが、実家で育った頃は隣に妹が寝ている状況で、家族に気づかれずに涙を流せる場所が浴室しかなかった。
その習慣が今も根付いているので、誰にとがめられることもなく、それこそ裸で歩き回っても誰も何も言わない一人暮らし生活においても
泣く行為=浴室。否、浴室でなければ泣けなくなってしまった自分の律儀な習性に時折泣きながら笑ってしまうこともある蜜子だった。
涙と笑いの夜。いくつもの。
女も、大厄とかいわれるものを迎える頃にはたいていのことでは泣かなくなる反面
(たとえば職場のトイレ及び給湯室でひっそり泣くなんてことは無くなる。蜜子ですら、20代前半の頃は客筋からのクレームで一日へこんでトイレで泣いたりしていたのだ)
泣くべき要素、というのは五万と増える。
しかし泣き方も心得たもので、翌朝化粧でカバーできないほどの大泣きなんかはしない。


なんとなく気持ちが発散できる程度に上手くコントロールをして涙を流し、そして涙は湯船へと消してしまうのだ。
浴室は、全てを浄化してくれるような場所だ。
浴室で泣くことで、全てをチャラにできるような感覚があったのだ。そして…
汚れちまった悲しみに〜とか半ば自嘲気味に、ああそろそろ泣かないとヤバくなるなぁと思うと自然と浴室で泣くことができるようになってしまった蜜子である。


星からの悪い知らせ、を受け取った蜜子は、いつもの駅を降りてなんとなく慣習的にいつもの本屋に立ち寄り、女性誌の占いとかほへーとか思いながら立ち読みして、
それでも、それは、何も頭に入らず、必要も無いのにスーパーに寄り、ああ別になにも要らない、何も食べなくて、いいんだった、というかお腹が全く空いてないことに気づき、歩道橋を渡る。
歩道橋の階段では目の前にキャバ嬢風情の女性が歩いていて、なにやら物を落としていた。
彼女がそれを拾うのに手間取っている間、蜜子は歩道橋の階段で追い抜かすこともないかと思い、ボケーっと待っていただけなのだが、そのキャバ風情から「うっぜーな!」と理不尽に怒鳴られる。
それでも蜜子には何の感情も浮かんでこなかった。
30秒後くらいに「あ、いつもだったら怒ってる所だった」と気づくくらい。
そして帰宅してこれまた慣習的にテレビをつけたが何も頭には入らず、笑えない。
そして慣習的にカラダの垢を落とすべく風呂に入り、突然、髪の毛を洗っている時に泣き出してしまう。
「ああ参ったなぁ」と思う。さっきから「参った」という気持ち以外浮かんで来ない。
もーなにもかんがえられません。参った。蜜子。


みもふたもなく参っている。
これは、この悲しみというのは単なる自己満足なのだろうか?
なんでいろいろなものに終わりがあるのだろうか?
なにもわたしのまわりのそのまたまわりの人も終わらなければいいと思うよ。
とか思いながら蜜子は眼鏡をかけて酒を買出しに行く。弔い。
眼鏡をかけてないと、明らかに泣いたと分かる顔だったから!見れたもんじゃない。


翌朝、殺人的に眼は腫れていた。横隔膜はまだヒクヒク言ってる。
普段あんまりかけない極太セルロイドフレームの眼鏡をかけて出社し、そしてホワイトボード、蜜子のスペース。『D展示場 NR』と書いて
蜜子は平日の変な時間にD地へ向かう無人列車に乗る。
美しく、そして恐ろしく人工的な世界に、蜜子は陶酔する。
考えてみたら「もーだめだ。」が何回あったろう。
ズルイんだ結局バカやろうとか思いながら、蜜子は埋立地に降り立ち頭上の観覧車を眺める。
恐ろしく恐ろしく人工的でそして絵空事のように美しい観覧車。
夜や週末ともなれば恋人達しか訪れない定番デートスポットだったが。
たとえばこの平日真昼の人工的世界に身を置いて、そして独りでこの観覧車に乗ったりとかしたら少しは気持ちが晴れたりしたのかしらとか、ああ、でもそれも全てIFにすぎなくて。
蜜子は何もできなくて、この真昼にこの観覧車に乗るのは非常に甘美な選択肢に思えたのだが、結局。
このカードはまだ使わない。と、決めた蜜子。
今みたいな物凄く悲しい状況が、この先もきっと訪れる可能性はある、蜜子の生ある限り。
それがまた訪れたとき、独りで無人列車に乗って対岸に渡り、そして女一人、大厄を抱えながら観覧車に乗ったりすると、多分気持ちが晴れるだろうな。何か非現実に身を置く感じがして。
その観覧車の小部屋で独り泣くのも、ああそうか、浴室以外でも泣く場所があるとしたらあの中かもしれない。
あの軌道を外れることない完全なるサークルラインの小さな小部屋で。
でも今それをやらないのは、私はまだ湯船に涙を浮かべる程度のことで、スックと立つことができるというささやかな自負だと思っていたりした。
そう、だから観覧車には乗らなかった。乗らなかったのだ。というか途中で自分のそのセンチメンタルぶりに嫌気が差したのかもしれない。
観覧車はもっとハッピーな状態で乗れるといい。
独りじゃなければもっとイイんだけどな。
と、蜜子は思って無人列車で対岸から現実に還る。
新橋の灯りが蜜子を迎えた。

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以上、ちょうど一年まえに酷く感傷的になり泥酔しながら書き綴った文章である。弔い。届け。