それでも私の中に残る温度とは


冬の雨が去って
空は美しくキンとして月と星が綺麗だ。
私の住んでいる場所だと都庁丹下建築&お月様&甲州街道っちゅー風呂屋のペンキ画みたいに恐ろしくベタで美しい風景が見られる。ので月見という名前にカモフラージュされた酒買出し夜の散歩をしないかねツアー。どうでもいいけど、よく、トイレに携帯電話を落としてオシャカにするという話は聞くが、さきほどワイングラスを倒して携帯電話がワインまみれになる、という惨事が起きた。呑みすぎなのだ。
とりあえず電源が入るがやばそうです。消えゆく、メモリ。でもコンタクトの無い人はだいぶ消してたメモリ。
なんていうかさ、なんでも、消えてゆく記憶とかってのが私にとって一番の恐怖でありまして、忘れられてしまうことよりも自分が忘れてしまうことが怖いってのがずーっとある。なんだろね。もう、自分という人間が誰かに忘れ去られることには仕方ないさっていう諦めあるから、抵抗もないんだけどさ、自分の中で色々な感触や温度や重みやなんかが消えていくのが怖くてたまらなかったりして感傷的になってダー。
たとえば唯一無二に愛した犬の死んだ時に瞬時に固まっていたあの体の感じとかさ、そういう感触がもう残ってないのよ、私の手にはさ。それが一番怖いなって思ってて。
ゆうべ、久方ぶりに吉本ばななの『キッチン』福武文庫を読み返した。
神様告白します。何年もたった今読み返しても、私は滂沱の涙。久方ぶりに耳の穴まで涙が流れてくる感覚を味わってしまった。
あそこにも人が失われたものに対してなくしていく感覚という描写が、ある。たくさん、ある。
死んだえりこさんの残した手紙に香水の残り香があり、それがいつかは消えてしまうことの悲しさというような表現があって、私はそこでやっぱりシンクロするのだ。香りが消えていくこと。悲しい。好きな人の香りが消えていく悲しさ。でもそれ以外にも非常に暗い世界にとらわれているからこその希望の光のような、カツ丼があそこにはあって。お腹の空く小説だ。私は、たいがい寝る前のベットの中で本を読むのだけども、寝る前にお手入れしたアイクリームなんかが全部流れるぐらいに涙が出てしまうんだな、この本は。
なけるからっていい本とかいい映画とかってことはまず無いです。でも泣くポイント以外にも恐ろしく凄い描写が沢山ある。いつかは『キッチン』も古典となる時代が来るのだろうな。なんてことを考えながらもがく夕べ。