本棚を置ける暮らし、ああまた生活のことばかり考える

図書館で沢山の人が予約している新刊、ベストセラー的なものをわたしもまた予約しているので、半年遅れくらいで新刊を読むことが多い。最近立て続けにそういったものを読む機会を得て嬉しいかぎりだが、借りてすませる、ということは非常によくない気がしてきた。いや、単純に経済的にも物理的にもポンポン本を増やしていけない理由もあるが。
死んじゃった作家の純文学ばっかり読んできた頃って絶版とか普通だったから借りて読むことに抵抗がなかった。けれど、最近自分と同世代の作家のものなんかも多く読んで、中には印税の手助けをしたい、食わせたい、と思う作家も居ないこともないので著作を買う行為が必要なのでは?と逡巡する。でも、一度読めばそれでいい、というような本が多いのも事実。手元に置いて何度も読みたい本なんてごくわずかだ。でも、三浦しをんちゃんはやっぱり著作買います運動をしてどんどん書かせたい人かもしれない。
まほろ駅前多田便利軒
三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』
正直これで直木賞って聞いた時にえー?!これで?とビックリしてしまった。この作品が不出来であるっていうんじゃなくて、デビュー作からの流れを見ていて、もっと評価されるべき作品があったと思うから。でも、この作品だけでなくてなんかトータル的なものとして与えられた賞だったんだなってことに読後に気づく。
便利屋を営む男のもとにかつての同級生が転がり込んで街の人を巻き込んで起こる事件を解決させていく、というようなアラスジだけ読んで、まぁ楽しい冒険活劇なんかなわけね?と興味を持ってなかった。でも読んでみたら、そうじゃないんですよ、これは、この人はやっぱり。冒険活劇というものにくるまれているけれども、これは人間(時に動物)の関係性が隠されている本です。本人が「関係性オタク」だと認めていたけども、友人や恋人や家族というように言葉だけでくくれない関係というのが世の中には沢山沢山あって、なおかつその関係性はひどくモロかったり、もう一歩で発火したり放水したりするような微妙な危険をはらむボーダーレスだったりして、だからこそ生きるってスリルとサスペンス。それゆえに関係を築いたり続けたりって非常にカロリーを消費しなくてはいけない。だから時に独りは楽だ。それでも誰かと何かしらの関係を持つことを選択する、のだ。登場人物もちゃんと関係に向き合ってそして選択する。冒険活劇の部分はあくまで付録。もうちょっと深く関係性を掘り下げられそうな点もあるので不満も残る。ちょっとした言葉がサラりと書かれているが重い。
「一人でいる重さに耐えかね、耐えかねる自分を恥じているのだ」って嗚呼!恥じる!そうか、それを恥じると言えちゃうあたり、やっぱり好きな作家である。しをんちゃんは相当量の本と漫画を読んできていると思う。で、読んできたものが自分と近いのかもしれないのと、フェミコードも自分に近しい。そういう点でも好きです応援してます。