泣ぐ子はいねが。

気の置けない友人と忘年会、ザギン、秋田料理、きりたんぽ。
途中でなまはげが来た。
秋田の酒、あってるだが?と聞かれて何を頂いても美味しいです。と答えた。
秋田に旅行に行きたい。
風力発電機が見たい。
郷土料理が沢山食べたい。
地酒がいっぱいのみたい。
でも、きょうどうしたの?って旧知の人に言われるくらいお酒のペエスが遅かった。
なんかもう信じられないけれども最近いろいろダメんなったん。
夜のまたたく銀座有楽町などをプラプラして
私はこの友が大好きだと思う。
何故みながみなしあわせでないのかと憤る。
形で判断するなんてナンセンス。
なんかなぁー。

真夜中のカウボーイを突如思い出す真夜中のプラットフォーム。
ずっとニルソンの「うわさの男」をプラットフォームで歌ってた。
真夜中のカウボーイ1969年のことしか考えなかった1996年。
そのあたりの気持ちをフリーペーパーに書いたことがある。
フリーペーパーは2000年あたりに出したもの。名をアブサンという。
ここに前文掲載。これも続いてこれたら尚よかったのにね。
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キャンベルスープ。わたしはこの商品をアンディ・ウォーホルに教えてもらった。つまり例のキャンベルスープのシルクスクリーン作品。

誰もがそうであるように(イヤちがうのかな?)わたしもマリリンのシルクスクリーンからウォーホルに入った。画集をひもといていくうちに、マリリン以外のシルクスクリーン作品、フィルム、インスタレーション作品、そして彼のA・ウォーホル的発言、スタイル、彼を取り巻くファクトリーの人間…を知ることになる。

 N.Y.のアーチスト(というよりはポップスター)の情報は、遥か極東アジアの高校生だったわたしを魅了し、今もなお魅了しつづけている。



 エルビスはクールじゃない。牛や花もいま一つ。コカコーラは有名すぎた。

 そう、そこでキャンベルスープである。赤字に白いキャンベルの文字。あのデザインはキャッチーだった。一目でキャンベルのシルクスクリーンが好きになった。

 今でこそ「やあ、僕キャンベルです」なんていうCMがやっていて、キャンベルジャパンから日本語表記されたものが売っているけれど、わたしが画集でキャンベルを知った頃そこらへんでは売っていなかった、と思う。(わたしが広尾や麻布で生まれ育っていれば話は別だが、少なくとも郊外の普通のスーパーで見かけることはなかったのだ)

 どんな味がするのかな、食べたいな、とあたかもそれは銀座4丁目マクドナルド初上陸、みたいな世界だった。



確か、短大に入った年の夏だ。渋谷の宇田川町あたりをフラフラしていて、ふと輸入食材を扱う店に入り、そこで輸入物のキャンベルスープ缶を発見した。ラベルをはがして、作品でも作ろうかな?なんて考えて、ミネストローネ缶を購入した。

味の方は…マズイとまではいかないがオイシイとも言えなかった。日本人の口には合わない香辛料の味がした。アメリカ的だった。

 その年の夏、つまりわたしが初めてキャンベルスープを食べた年のことだ。わたしはある一本の映画を繰り返し観ることになる。

「真夜中のカウ・ボーイ」アメリカンニューシネマと呼ばれる作品の一つ。この映画は、当時90年代を生きながら60年代をみすえていたわたしには貴重なテキストだった。



なによりもA・ウォーホルテイストを強く感じさせる映画だった。

ダスティン・ホフマンとジョン・ヴォイドが、廃墟のようなアパートの一室でキャンベルスープを食べるシーンがある。ウォーホル、そしてアメリカ的な匂いのしたシーンだ。

キャンベルスープ一つで、すぐに連想されるウォーホル。リッチなウォーホルも好んで食べたキャンベル。(映画の中だけど)ジョン・ヴォイドが男娼をして得た金で食べたキャンベル。エリザベス・テイラーも食べたかもしれないし、キング牧師も食べたかもしれないキャンベル。多分、おふくろの味というようなものが存在しないアメリカで、最もポピュラーな味なのだろう。



 1999年、今年。ニューヨーク近代美術館でウォーホル、その他の近現代のアートを観るためにニューヨークに行って来た。しかし残念なことに、肝心の時代のアートは、展示入れ替え中だとかで観ることができなかった。そのショックはかなりなものだった。



 近代美術館からの帰り道。48丁目、ブロードウェイ付近のデリに夕食の調達に入った。

アメリカンチャイニーズの経営するそのデリに、キャンベルのトマトジュースが売られていた。

「なんだ、ここにあるじゃないか」私は一笑した。

そうなのだ。なにも美術館で観なくても、あたかもウォーホルが32枚のキャンバスにプリントして並べたかのように、マーケットに整然と陳列されたキャンベルスープ缶を観るべきだったのだ。たいした差はなかったのだ。



 資本主義のアートには、マーケットがよく似合う。



B「アンディ。今日はどのスープにする?」

A「ねえB。僕思うんだけどキャンベルスープは1人で食べるものだよ。

  うん。そう思うな。悪いけど。」