強運の持ち主
瀬尾まいこ『強運の持ち主』
瀬尾さんの作品をこれで全部読んでしまった。生きてる作家でこんなことしたの初めてだ…
「人とかかわることが嫌でなんとなく占い師を始めた女性が色々な人と関わる事で云々かんぬん」というような至ってシンプルな話なのだけども、瀬尾さんの作品はどれを読んでも「ああ。こういうことが言って欲しかったんだよ」と思わされるありがたいものだ。そしていつもどの作品も日常の中でのごくごく小さなことが作品のキーとなって、それこそ公団住宅の中でのドラマティックが起こる。そしていつもいつも、キーに結びつくものは食べ物や、もっと基本、好きな人と美味しいものを食べることって日常で一番大事なことですよってことが毎回毎回描かれる。だから好きだし、全幅の信頼を勝手に寄せているのかもしれない。わたし、食べ物に興味が無い人って好きじゃないんだ。絶対うまくいったためし無いもんな。


最近のっていうか多分1970年代以降生まれの女性作家って皆が皆、絶対的な孤独感のような物を持っているなっていうのが文章から匂ってくるのだけども、瀬尾さんの作品の孤独感ってなんともキゼンとした印象がある。
ここで孤独孤独と連発しているが、世に言う負け犬とかそういう孤独じゃないからね。あしからず。多分この孤独という言葉のニュアンスが上手く伝えられてないと思う。あーここらへんのことを上手く明言化してくれないものか。
孤独感をいちばん感じてしまったのは『幸福な食卓』。そんな『幸福な食卓』も映画化されるという。どの登場人物も非常に魅力的なので映像が怖い。
そしてなんとなんと山崎ナオコーラの『人のセックスを笑うな』も映画化。ユリちゃん、誰がやるんだよー・・・。
なんで今更それなのか?っていうほど『人の…』はある一瞬の時代をピンポイントで斬ったようなところがあるな。どうなの邦画。脱線したが、ここ数回のコーラの朝日新聞の連載はすごくよいです。