看取り屋から5年で考えたことなど。

散歩をしながら新宿まで。結構な運動になる。
歩く速度というのは考え事には絶妙な速度だと思う。
そこで思ったのは私はやっぱり最後まで独りで
それで独りで死んでいく人を看取る職業に就くというのは現実になっちゃうんじゃないの?
なんかさ、みんなを送り出して最後まで自分は一人でいるような感覚があるんだよね。ずっと。
ってことを思っていたらナオコーラが同じように「大丈夫私がいる」というようなことを
作家デビューする前のわずか大学生当時の個人サイト日記で書いていて
やっぱり凄いなコーラちゃんはって思った。
大丈夫、あなたは私が看取るから。看取り屋の私は誰が看取ってくれるのだろう?
え?もしかして私ってやっぱり弥勒?死なない感じ。
56億年先の土も花も無い世界に独りで立つ。螺旋がどーしたこーしたとか言い出しちゃうかも?
看取るといえば三浦しをんがどこかで看取り屋という職業についての小説を書いているそうだけども私の方が先に考えてるから、アレは。
あとビジュアルとニーズ的に考えるのならば
マイグランドマザーにおけるあの看取り屋はしょこたんがやるといいと思う。
それはそうとして週末ばっかり更新してるのは平日は余りにも心が荒んだりしていて
文章を書くことにすら逃げられないからです。
先日ショックだったのは、デート通とかいうサイトからの逆リンクがこちらの日記にあり
なにかというと先日行った神楽坂の店についてのコメントが拾われて
そのデート何某サイトのブログ検索というような形で来られていた。
ブログってことで何でもかんでもくくられてしまうけどこれは日記です。
もっと言えば日記文体を利用した文学ってことでひとつ。
それよりもなによりもそのデート何某サイトは会社の人がブックマークしているという恐ろしい現象があって
怖くて怖くて仕方が無い。そんなの個人の自由だとは頭では分かっているが、そんなサイト見て何かを研究しているであろうことが怖い。奥さんと活用してくれればいいのだけど真面目に怖いです。
ああ、そうだ散歩の途中の話。
初台オペラシティ内のナディッフに立ち寄る。
いかしたキーホルダーがあればいいなぁと思ったのだが理想的なのが無い。
オペラシティの伊東トヨの展示には前々から行かなきゃと思うのだが
多分パワー的に今日は負けそうな気がしたので見送る。
近いけど何気にあんまり来ない。初台。美味しいと言われる鰻屋にも行ってない。
http://www.operacity.jp/ag/
初台の山手通りの交差点のところのあの終わらない道路工事が凄いことになっていて
空を仰いでただただポカンとするばかりだ。
今日はカメラを持ってなかったので仕方なしに携帯で撮ったけど
恐ろしくカッコいい、鉄骨。これはちゃんとカメラ持って再挑戦しよ。
あとやっぱり持ち歩けるようなコンパクトなデジタルカメラが欲しい。


新宿ジュンク堂まで行って団地関係の本特集コーナーなど見る。
最後はいつものように高い建築洋書などをヨダレを垂らさないように立ち読みして日が暮れるまで。
団地っていいよなぁ。工事現場はいいよなぁ。地下空間はいいよなぁ。配管はいいよあぁ。基礎杭はいいよなぁ。鉄塔はいいよなぁ。給水塔はいいよなぁ。
と、無機の夢を見続ける。


ここ数年のうちに
外観は昭和40年代風な木造アパートもしくは出始め鉄筋コンクリート団地のようなたたずまいで
内部の設備的なものは便利になっている、というような集合住宅が出るような気がする。
町屋や古アパート・団地のリノベーションにも限界があるからね。
80年代に量産された微妙に古い住宅(私が借りてるみたいなさ!)をぶっ壊して
あえて新しく建てるのは多分その年代のテイストが香るものだ。でも新しい建材でね。
いつの間にか前進をやめ、いたるところで懐古は始まっている。