あの時のあのかんじというのを残したくて私は文章を。

土曜から日曜に書けての雑記。
日本橋西村画廊小林孝亘展に行く。前日夜に思い立ち突然短大時代の友達を誘って。
http://www.nishimura-gallery.com/exhibition/2006/kobayashi2006.html
2004年の目黒区美術館で行われた個展「終わらない夏」で受けた「夏」の感じを未だに引きずる私。
目黒駅からスタートして川沿いの道、公園の森、プール、を抜けて美術館へ。
展示された作品だけでなく、全てのことがマッチした展示で強烈に今でも残っている。
夏の光の中の建築がエッヂの効いたものとなるがごとくに、今も強烈な輪郭を残す展示。
トータルで考えたら多分あれを超える美術展覧会って出会ってない、自分の中で。
小林さんの作品というと、自分の中ではいつまでも光のイメージがあるのだけども、2004年のあの展覧会の時点での最新作で執拗に描かれたのは眠る人物画だった。
これがいつか目を開ける時が来るのかなぁって考えていたけれども、今回の西村画廊での新作はやっぱり目を開けてしまった。
私は光の木々や庭の感じの絵が好きだったので今のこの流れはすんなり入れないけれどもキャッチーではあるよな、と思う。
オイル・オン・キャンバス、だけれどもマットな質感と色調に、自分も油絵をまた描きたくなったりする。

呑むには早い時間。日本橋を出てなんとなく中央通りを北上して歩き出す。
神田、神保町。神保町でカレーを食した後ブラッセルズでベルギービール
じゃぁ世界のビール特集をしようということでミロンガ行ったら閉まっていた。
なんかちょっとお酒もあるような喫茶店とか行きたい感じだね、となって漠然と歩き出して水道橋。
途中、水道橋に勤めている、やはり短大時代の友達を思い出して電話をかけてみたら一ヶ月前に転職して水道橋勤務じゃなくなったばかりだ、というような会話を繰り広げ、考えてみたら3年ぶりくらいに喋った気がする。
で、水道橋に出たら後楽園の明かりが見えて。
短大時代、テストが終わってわーってなって夜の後楽園に遊びに行ったよね。(あの頃はルナパークという夜間営業をやってたのだ)って一緒に居た友達と思い出して。
なんかあの頃って遊ぶバイタリティに溢れてたよね、無意味な山登りとか野外カレーとか夜中の築地市場忍び込んだり?覚えてない?人生初吉野家で食べたりとかなんか何もかもが。
バカみたいな話だけども私はあの頃は世界の果てまで行けると思ってたし、何にだってなれると思ってたし、今ここで隣にいる友達もとてつもない大物になると信じて疑がわなかった。
けど大人になると色々なことを選択しなきゃいけない状況におかれたりして、それで選択し得なかった方を諦めたりするけど、なんかそれはそれでトゲトゲしたものも削がれていくからいいのかしら?
いや、それはさておき、今、後楽園に入って遊ぶべきだよ!
今ここに不在の、当時一緒に後楽園いった友達(現在臨月。今日生まれても何らおかしくない)も呼んでさ。と息巻いて行ってみたら閉まっていた。
水道橋からまた無目的に歩いて神楽坂に行く。歩いてばっかりの日々だ。
神楽坂では茶寮という店に連れてってもらって、
和・モダン・オープンエア席・おばんざい系料理・スイーツ・酒・茶。
なるほどこれは女の子受けする店だ。グラスワイン赤いの、2杯。ちょっとアルコールで勢いがつき、臨月の友達にメールをしている間に今から行っていいか?という話になる。今夜そのまま陣痛が始まるかもしれないような状況なのに。なんか土曜日の夜は何でもできるしどこまでだって行けると考えていたあの頃の感じに戻っていたよ私。
行くなら今しかないよ、と五十番で肉まんを土産に包んでもらって電車乗って押しかける。うわ、ホントに来ちゃったよ、と友達の旦那さんはさぞビックリしたことであろう。終電で帰るつもりが時間が過ぎて泊めてもらった。夜中に産まれるというようなことは起こらなかった。まったくもって非常識なことをしてしまった。朝ごはん頂いて帰宅。長男とボウケンジャーなどを一緒に観て、玩具も見せてもらう。やっぱ男の子生んで一緒に遊びたいなー。
あーホントにけっこう色々なことをやろうと思えば今でもできる気がするっていうのと
あの頃、10年以上前のアリガトウアリガトウ遊んでくれてアリガトウって気持ちを伝えきれなかったので今これを書いている。