恋文横丁

先日書いた、大島弓子『いちご物語』を古本で再読。
向田邦子『父の詫び状』『あ うん』も再読。
一日のうちに沢山の本を読んでいた。久々穏やかな晴天。
風と木の詩』までもを読み返したところ
現実に戻ってくるのが大変だった。
あ、ラテン語の勉強しなくていいのだろうか?
とかピアノのレッスンしなくちゃ、とか。


あと少しで三十路となる者が読んでみると
10代後半で読んだ頃とは全く感じ方が違うもんだ。
再読の醍醐味。
今日沢山再読をした中で
最も認識を新たにさせられたのは『風と木』だった。
クローズアップされがちな少年愛、同性愛とかよりも
全篇に漂う「モラトリアム」な空気。
10代後半の私が最も愛したものってそこなのかな。
一介のサラリーマンとなり三十路まで数週間となった今だからこそ
遠い青春譜を紐解くような。
あの頃わからなかったことが「わかった」気になる。
10代のうちに沢山本を読めってのはあながち煩わしい訓戒でもないな。
それは年月を経てもう一度読んだときの為に
種をまいているようなもんじゃないかと思う。
漫画でも映画でも何でもいいんだけどね、それは。


友人から
恋文というか好きな人にあてた手紙の下見を頼まれた。
自分のような本ばっかり読んでたような人間だと
ついつい日本語の変な言い回しに気をとられて「添削」しそうになった。
あ、いかんいかん、多少変な方が「可愛い」のか?
とか考えてる私ってスッゴイ駄目な気がした。


友人は、周りに気を使うあまり
その好きな人にはたいしたアプローチもできなくなって
ここでその彼が遠くへ行ってしまうというので手紙をしたためたのだ。
しかも恋文にもなってない。
ホノカすぎて多分相手は気持ちなどに気づかないで
そんでもって見てくれがよくてノリがいい方にいくんだよどうせ。
っていうかそんな周りなんて馬に蹴られて死んでしまえばいいんだよ!
そんな弱気でどうするよ?
とか一人で熱くなってたけど割に友人は冷静だった。
私自身もそうやってなんやかやと気を回して何もできないでいる派なので
自己を責めるように他人に腹を立てたのかも。
結局誰かのせいにして傷を負わないようにしてるだけなんだよなぁ私は。
友人の方は旨くいくといいな・・・と思うけど
人の気持ちはなんともムズカシイ。


性の乱れなんていったいぜんたいどこにあるんでしょうか?
未だに、こんな古風なことをしている女性もいるんですよー!!!
と声高に言いたい。