唐招提寺展@東京国立博物館

盧舎那仏 光背なくて さみしそう

唐招提寺の金堂は2000年から大修復工事中であり
たぶんこれもその資金繰りというか一貫での展示だと思う。
金堂に鎮座する三体の巨大仏、盧舎那・千手・薬師のうち盧舎那が来ているというので
えええ!あの後ろに小さい仏像がビッシリ張り付いた光背なんて運搬中に大変なことになるんじゃないの?と心配していたのですが
出張してきた盧舎那仏は身一つ?でやってきていて光背はお留守番らしかった。
盧舎那仏というのは、仏像格付けでいうと奈良東大寺の大仏と同じで
三千大千世界、マクロコスモス的な天文学規模の単位を統括している。
−統括という言葉は適切でないかもしれないけれども−
その天文学規模をあらわすものとして
後ろに背負った光背の小さな仏像がある。
今回、それが無い状態だと妙にスッキリしていて違う人みたいだった。
しかも、普段は金堂内に巨大仏三人と毘沙門天帝釈天四天王がひしめき合っているのに対し、
広い展示スペースに間隔を持って毘沙門天らも置かれているのだから
一体一体をハッキリと個々で捉えて観られる。こんなことは初めてだ。
邪鬼を踏んづける憤怒の相の増長天なんかのすぐ足元まで行って見上げてみたり
盧舎那仏の後ろに回って落ちかけた螺髪を眺められたり…
新鮮ったらありゃしない。
今まで唐招提寺に何回か足を運んできているけれど
全体のあのひしめき合いにスゲーと興奮し
それから部分部分を捉えてスゲーと興奮するかんじで
一体一体をクローズアップすることは無かったなと思った。
でもあのひしめき合い金堂がもちろん魅力的に感じるのだけど*1


750年くらいに建立された金堂がすっかり修復されるのはいつだろう?
数年前に、大晦日の夜中に唐招提寺に行ったことがある。
あの時の閑散とした境内で最高に美しい左右対称の金堂のパースを見て
キンと凍りそうな空の下の金堂を見て
唐招提寺を燃やせばならぬ。とか危なく興奮したことを思い出した。

*1:東大寺三月堂然り