ぼくは無頼じゃないけれど

檀一雄『火宅の人』(ISBN:4101064032)(ISBN:4101064040)
週末、何をするでもなく誰に会うでもなく布団に仰臥して読みふけっていた。
その昔、国語教師が紹介してくれた本。
15年越しでやっと読んだ本。
およそ、その15年前くらいの最も多感だったころ
無頼派とか呼ばれる作家のものにかなり毒された。
ドップリはまっていた頃から15年後の自分が
毎月曜ごとに憂鬱になって、
それでも毎日同じ電車で通勤したりする姿なんて想像できなかったさ。*1
こんな『火宅の人』なんか読んでしまうと
つつましやかで小さい自分の暮らしがホトホト馬鹿馬鹿しくなる。
宵越しの銭なんかを持たずに滅茶苦茶にやりたい。
情夫の一人や二人囲ってみたい。
電車で隣に座ったやつとやってしまったってイイわけだ、いや、よくないが。
モロモロ常識人だし、何より器が小さいのだ。悲しいことに。
15年前の自分が何故にあれほど無頼派とか呼ばれる作家に毒されたか
いまではよく分かる気がする。
憧憬。
絶対にできないであろう無頼の数々への憧憬。
一握りでも、無頼の素質がある人は、多分無頼派の作品に執着しないと思う。
無頼の思想だけに憧れてて何もできないような器の小さい人が熱狂するのだ。きっと。


で、『火宅の人』。
3人も女を囲い、結構な額の原稿料も、懐にあれば一瞬に使う。
遠い、とても遠いよ。わたしの居るところから。
さらに輪をかけて遠いと思うのは、
この作者から非常に体育会系の匂いがするところだ。
子供より親が大事と思いたい。
なんて、女々しく書いてるのとは大違い。
無頼にもいろいろあるなぁ。

*1:毎月曜ごとに学校行きたくネーとか思ってたのと変わってないが