歌舞伎@平成中村座 夜の部

初めての平成中村座での歌舞伎見物。浅草寺裏に作られた小屋は外側は巨大なテントのよう。中に入るとちゃんと芝居小屋っぽくなっていた。2階の2列目でしかも花道の上なんで…全く期待してなかったのですが、とても観易かった。舞台も花道も物凄く近く感じる。普段の劇場規模からしてみたら丁度良い手狭さ!臨場感と『小屋』という状況の醸しだす胡散臭さ、そして暗さ。コレだよ、コレを、仮設テントでも良いから味わってみたかったのよぅ。と、開演前、役者さんが前説のようなものをしている中で少々こっちも興奮気味。
1ヶ月じゃなくてもっとやれば良いのに。勘九郎が独立して建てちゃえば良いのに。芝居町復興すれば良いのに。プラプラしてるイイ男はみんな、芝居小屋で働く若衆になれば良いのに。
なんて、現代の歌舞伎興行上、絶対に無理を承知でそんなことを思ってました。
以下感想文。無駄に長い。


そして始まる『弁天娘女男白浪』。
知らざぁ言って聞かせやしょう、で有名なアレです。弁天小僧を演るは中村七之助丈。私が弁天を観るのはこの役者で3人目であり、『型』を演じる歌舞伎においても、3人いれば3人の弁天小僧があるんだなぁというのが率直な感想。
女の格好をした小悪党が男とバレて方肌脱ぎになって…という女→男と転換するジェンダーとその対比が最も魅力を感じる場面であり、そこになんともいえないエロとグロを感じるのです、私は。今日観たものからは、あんまりエロもグロも感じなかった。以前観た時に感じたもの−エロとグロと悪に対する悲愴感−アレは何だったんだろう?とフシギに思ったほど。今日の弁天小僧は、トッポい不良のあんちゃんというのが前面に出ていて、悲愴感も全く無し。爽やかにすら思う。それが無いからダメとかじゃなくて、こういう弁天も有りなんだわと。
オバちゃんモードからすれば、七之助くん達者になったのねえ。というところです。
二つ目『本朝廿四孝 奥庭狐火』
舞踊。人形浄瑠璃のように、踊る中村福助丈の後ろに人形遣いが現れて、福助は人形のような動きに。ちょっと前まで優雅に動く軟らかい指先だったのが、人形遣いに使われるがままに、技巧的な動きになる。とてもハードな抑圧された動きをしているのだけど、呼吸をする生き物だ、ということを感じさせないのだから物凄い。
ここ数年はあんまり熱心に歌舞伎観てきてなくて、中村福助丈に関しては無難に巧い人だくらいの認識しか無かったんですが…いやぁなんか凄いことになってました。この人こんなに凄かったっけ…?44歳くらいかと思うのだけど、旬ですよ旬。匂い立つような色で、あまりのことに、花道を引っ込む時に涙してしまった。
三つ目『人情噺文七元結
落語でお馴染み、ぶんしちもっとい。大爆笑の芝居小屋。
勘九郎演ずる長兵衛、博打と酒が大好きで金は無し。その嫁(嫁というよりカカアですね)は中村扇雀丈が好演。この夫婦のテンポ良い喧嘩が非常に非常に面白かった。扇雀さん、上方の人のはずなのに違和感の無い江戸弁のカカアっぷり。
苦しい家計を救うために長兵衛の娘・お久が自ら吉原に働きに出る場面で気付けば落涙。お久を演じた坂東新悟くんの、声変わり期真っ只中というような声色が悲痛さを倍増させていたからかもしれません。
五十両を紛失した為に大川に身を投げようとしていた文七を救うため、娘がこさえた五十両を泣く泣く渡す長兵衛。「死んじゃいけねえよぅ」と言いながら長兵衛が花道走り去る場面がとても良くて、ここでも気付いたらあふれ出る涙を抑えるに必死でした。
クールを気取ってみても、本当のところ義理人情にドップリ浸かりたい派なので、こういった貧乏長屋話に弱いのでありました。