枯渇。でもアタマは飽和。

喉が渇いているけれど平日に酒を呑む気にもならず。それでもお茶とかカフェインを取ると神経が昂ぶりすぎて眠れなくなるのであった。なんていうかアップアップ。脳が飽和状態とゆうか悪い気が集まっているっていうか、そういう時『第三の眼』にローズマリーのエッセンシャルオイルをちょっとだけ垂らすと良い。というようにアロマヨガのクラスで聞いたけども、アロマオイルを肌に直接つける事は抵抗ある。凄いかぶれそう。
でもこの『第三の眼』、額の真ん中、すなわちチャクラの場所に沈静作用のあるものを置くことは良い様な気がする。沈まれ我。あんまりモノを考えたくないが常に考えてしまう。しかし新しい考え方も沸く日々で、今まで以上にモノ作りへの愛について考えるようになった。多分多分、この数ヶ月の間、あんまり疎かに出来ないであろうモノ選びを強いられていた為であるといえる。そのモノを創作する人が誇りを持って創っているのは当たり前だとして、それを売ったり、たずさわっている人の誇りや思いまで伝わってくるような事をこの頃凄く感じる機会が多くて、それで選んで買う側の私としても胸が震えるくらい嬉しかったりする。
以前勤務していて惜しくも閉店した書店がある。毎年五月に、その書店界隈の関係者が集まる呑み会がある。去年は不参加だったのだが、今年は結婚の報告などもあったので足を運ばせてもらう。書店を軸に、袖摺りあうも多生の縁とばかりに色んな人が来る。入れ替わり立ち代り。殆ど名前も覚えてないけど、出版業界からは遠く離れた私だけど、その空間では所在の無さを感じることがない。ああそうか。当たり前だけどもここにいるのはかなりの本と書店を愛してきた人ばかりなんだ、と思ったら、今ではあんまり本を買わなくなった私も嬉しくなった。そしてまた、3,4年前に貸したっきり返ってこないので進呈した気になって諦めていた本が戻ってきた。結局戻ってきた。嬉しい。
そして先日は表参道の白山陶器のショップに初めて足を運ぶ。
我が家には森正洋の汲出と、かの有名な醤油さしと、ちょっとデザイン性の強い小鉢があるのだが、どれもこれも、とくにやっぱり森正洋のムダの無いデザインに心惹かれる事が多く、一度ちゃんと吟味したい、と思っていた。ショップには初めて見るものばかりで実際に手にとって見れるし棚に陳列されてなくても言えば在庫を探してくれるし、かつてどこかで見た覚えのある商品の特徴を述べて探してもらう、などという傍迷惑なこともしてくれた。結果、古すぎて現在は作ってないものだったけど。
お店の方と話していると白山陶器への愛に溢れているのが感じられて、私もまた「アリガトウ白山」という気持ちなので話していて本当に気持ちが良かった。いい時間を過ごして角皿を二枚買う。モノを買った以上に何かを貰った午後。欲しいものだらけだなぁ、あそこのは。
http://www1.ocn.ne.jp/~hakusan/hakusan-shop.htm