で。図書館で何冊か借りた本

見えない誰かと

見えない誰かと


瀬尾さんのエッセイ。
この人の小説は今のところ全部読んでいて、それは、この人の描く物語について全幅の信頼があるからなのだけど、今回、初めてエッセイというか随筆を読んでみて、言葉、や、垣間見る日常の節々から、コレはもう大丈夫だと思ってしまった。もう自分は今後新作を読まずともいいんじゃないか、というか、それは読む価値がないとかでなくて、あまりに「しっくりくる世界」なので読んで確かめる必要も無い、というか、ね。
で、何がそんなにしっくりくるのか考えてみたけど、やっぱり自分以外の誰か、それは家族でもそうだけど、人との距離感というのが、私自身にとって絶妙に心地よい感覚なのだ。あとは「食べる」ということに対するスタンス。
このエッセイを読んでいると小説と同じ目線で見つめる日常がちょっとだけ垣間見れて、それが余りにも素晴らしく、私がやいのやいの言うことではないけれども、どうかこのまま瀬尾さんが現役教師を辞めずにいてくれますように、と願うばかりだ。其の為には別に締め切りのある文筆業なんかしなくてもいい、と思う。
腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ


ずっと気になっていたので読みました。なんでこんなにディテールばっかりにこだわって視覚的なんだ?と違和感のある文体でした。先に舞台ありき、だったから?
私は、私の自意識を早いうちにバラバラに粉砕してくれた全ての人と事に感謝します、というくらい人間の自意識のいうのは醜くて痛くて厄介で可笑しい、ということを思わされます。