中等遊民月報青の時代と鑑賞者的姿勢と紫陽花の頃

通勤電車で「嗚呼そろそろ紫陽花が見頃だなぁ」などとボンヤリ考えていて愕然とした。
菊の節句も過ぎたというのにわたしの頭の中はまだ梅雨だ。
今年は余りにもバタバタしていたせいか初夏頃の記憶が酷く欠落している。
嗚呼そうか紫陽花なんかとっくに終わっている。
そこかしこに秋の気配を感じて
私はこの秋の匂いというものが大大大っ好きなので秘かにコーフン。
今年は茶色いロングブーツが欲しい。
実家を漁れば、友人の母堂から譲り受けた昭和40年代ブーツが出てくる気がするが流石にもう古いだろう。
っていうか私は物持ちが良すぎて自分でも呆れる。
というわけで今年こそ茶色いロングブーツを。
しかし最近の流行のあのなんか変な形のショートブーツみたいな靴も惹かれるわあ。



たまには生活以外の事でも書こうか。
最近あんまり写真撮ってないのだけれど機会あらばこのようにわざと青味を強くして撮ってみるのが気に入っている。
これはお台場のホテル。
しかしあれだなぁ、こうやってデジタルカメラでギトギトに色を変えていくと
これはどこまで写真と言っていいのかなぁと思うよ。
自分対写真の在り方みたいのは、ただ記録していれば良かった時代とは明らかに変わったなぁと思う。
表現方法という位置付けには到底達しないけども。


表現というのは難しいものだな、と思う。先日の情熱大陸の大竹さんのを観て。
なんか未だにモヤモヤ感が残っているんだよなぁ、あれ観て。


表現はおろか、最近美術展覧会じたい行ってない。
そもそも美術とか好きだったのかな、と懐疑的になってみたりして。
描かなきゃというような変な焦燥感に襲われなくなったのはやはり私が年齢と諦念を重ねたせいであろう。
それもちょっと寂しく思ったりして。
時々、色だけ重ねて何かぺたぺた描きたい気持ちはあるんだけどねー。