喪失感といくつかの不安と感傷を捨てること。


たとえば今
この映画はきっと自分は気に入るであろうから観ようかな?
などと夜の街の映画館前で立ち止まって考えたりするのだが
なんだか、まったくもって『物語』というものを追えなくなっている。ので観られない。
定期的に観ていたドラマですら追えなくなった。
こういうのは波なのでいつかまた『物語』に埋没することもあるのだろうか。
なんにせよ本も読めなくなったのが辛いことです、よ。
あー、あー。でも元気ですいろいろ。いつもスミマセン。
時々泣きたいときもあるけれど私は元気です。って感じだ>魔女宅。
相も変わらず自分は泣きべそをかく、ただしヒッソリと。
その、泣く、か、書く、か、についてのいくつかの考察。
もう、さ、書く行為って自分にとってのマスターベーション行為って言ってしまっていいと思うのだよね。
もしくは箱庭療法。
たとえば泥酔してても文章書いてたりするじゃん自分。
なんとなくの細切れの描写やダイアローグ的な文章が
門外不出にだいぶたまってしまったテキストフォルダ。
昔は紙に鉛筆で書いていたし
しかも書き出すまでにずーっとずーっと頭に留めて覚えておくことが出来たのに
今はもう思いついたら書かないとどんどん変形していく。
変形はおろか留めておくことすらできない。
私は昔っから情景やダイアローグを部分部分でしか書いていけない。
起承転結の『転』だけ先に書いてたりするのだ。
これがまとまることなんてあるのかしら?


それはそうとして
今日は『沈丁花』の香りと春について考えていたのだけども
帰宅する折には強風吹き荒み、ぴりぴりした寒さで
空は思い切り澄んで高く、金星はクッキリと見えていた。
ああまだ冬じゃん、と思ってちょっとホッとしてみたりして。
今年はいつになく活動的なわたし、早く暖かくなればいいと思う半面
やっぱりまだ春は苦手なんです。花粉症でもないけれど。
でも矢野顕子の『春咲小紅』を聴いていたら少しワクワクした。
そして春物のお洋服。
まだまだレトロかつネオロマ的なシルエット、そしてワンピースが続くようで嬉しい。
って、昨シーズン買ってしまって日の目を見てないワンピースがまだまだある…
ああ買い物に行きたし。
最近の風潮のお洋服は
ギャルっぽい子がいくような店ですらレトロっぽいカタチで嬉しいのです。
さすがにそういう店はいかないですが、ギャルと私が擦り寄った、と、感慨。