シャッターが下りる時


知人のお父様の形見であるカメラ、CONTAX-T2を1年ぐらい借りているのでそろそろ返却しなければならない。
十代終わりの頃、赤瀬川源平さんが持ってトマソン撮ってたりして、憧れのカメラのひとつだった。
これをもし学生時代に持てていたらさぞ面白いスナップが撮れただろう。
本当はTVSの方も借りていたのだけど、こちらは要修理。いや…難しいかも。
故人の遺族がカメラ好きなら良かったのだろうけど、今時フィルムカメラ残されても…という状態なので仕方ない。悲しいな。
阿佐ヶ谷住宅や都庁らへんを撮った。ズームレンズがあることをすっかり忘れて撮っていた。
最近ズームレンズ及びズームがついているカメラを使ってないせいか?
写真は阿佐ヶ谷住宅のワットメーター。ここも近々取り壊される。どこもかしこも、無くなっていく。
最近は物づくりに多少なりとも関わってはいるけれども、いまひとつ物を作ることに実感がわかない。
無くなっていく物と風景ばかりに想いを馳せてしまう。
多分私が表参道のプラダの建物などを愛してしまう理由も、鉄骨骨組とガラスの構造物から、人類滅亡後の近未来を妄想してしまうからかもしれない。
ガラスの中で植物だけが生き残っている。植物園を愛する理由も多分そこだけにある。楽園というのはなんとも終末思想とセットだ。パラダイス・ロスト。プラダの設計をしたヘルツォーク&ド・ムーロンなんてパラダイスロストって言葉がピッタリ。
日々、細胞も滅亡に向かっているのだから、やっぱりお化粧をしたままバタンキューはしちゃいけないと厳重勧告。あー。
なんつうの?欲望のままに生きちゃいろいろ問題あるのやっぱり。