酔いどれ感想文

可能性のない相手を好きでいることの功罪。
なんでこうも、可能性のない相手ばっかり好きになるのだろう?と冷静に考えてみると
それは結局は責任を負わない姿勢であるのか
ということに行き着いて罪悪感を感じる。


好かれている自覚を持つということは非常に危険だし
脈がない相手に『全く脈ありませんから』オーラを出せる人ってのは多分稀で
脈ないです。を出せば、もっと世の中ってのは分かりやすく進むのだと思う。
ホントにそうだってば皆さん。


好かれている、というだけで
その相手に対してピンポイントに爆撃を放つ。
つかず離れずを所有するわけです。
好かれている当人は、なんとなく、その人を所有しているという錯覚もある。
所有した感からか、嫉妬心も見せる。
妬いてる、この人!というのは
片思いの立場からすると、『勝手だなぁ』の反面
やっぱりピンポイント爆撃にもなるわけで
妬いてくれるぐらいだから少しは想ってくれてるのかしらん?
などと、まんまと単純な術中にはまるのである。
人って、ずるい。


そして、そんなずるい人を自分はどれくらい想い続けていられるのだろうか?
と考えてしまったのが
絲山秋子の『袋小路の男』。
やっと読んだ。
12年?18年か。そんなに想い続けること。
誰でも、10年たっても忘れられない人というのは居るとは思うのだけど
こうまでつかず離れずの距離を保ちながらのこの物語。
たまらんな。ホントに。
責任を負ってる片思いだ。たまらない。