心象風景から欠落したもの


そして大きな河を越えること。


私の生まれ育ったところには海がない。
大きな河もなかった。
ベットタウンである住まいから通勤や通学をするのにも
荒川や多摩川や江戸川を超えることもなかった。
電車や車で河を越える行為には
ちょっとした気持ちの切替のようなものがある。いいな、と思う。
河越えに慣れてない私には
大きな河や橋が物珍しくて、ついつい外の風景に夢中になる。
明らかに私の風景の中にはなかった景色だ。
完全に欠落している感覚でもある。

週末、千葉の知人宅に泊まりに行って
河をたくさん越えてそんなことを考えていた。