犬を看取る

18の歳にやって来た実家の柴犬が逝った。
来月で丸十年だった。まだ早い、気がした。
実家に帰ればいつでも尻尾をグルグル回して迎えてくれる、そういうもんだと、思っていた。


昨日の朝逝って
夜に、実家の台所でアーカイブスとか見ながらビールを呑んでいた。
ビールの空き缶を捨てようと思って
裏口を開けてみて
ああ、そうか、裏口を開けてももう犬は居ないんだ
ということに気付いて、空き缶片手にマイッタなぁとつぶやく。
ここ3年は一緒に住んでなかったにも関らず
喪失感というのは思っていた以上だった。


怖いんだ。
体温低下と痙攣を抑える為に一晩中さすり続けていたこの手の感触や
最期の息遣いと何事かを発した彼の声や
冷たく固くなってしまった体の重みやらの感覚が
鮮明に残っていることが怖いんだ。
そしてその感覚を、いつかはすっかりと忘れてしまうことも
怖いんだ。


別れは怖い、忘れていくことも怖い。
だから何とも関らずにいたくなることがある
それでも関ったりつながったり愛したり、してしまう。
否、したいんだよね、やっぱり。