桜桃

多分に漏れず私も『1Q84』を読んだ。
感想はさておき、久々に『物語』に埋没する感覚を味わえたのが楽しくて
読み終わってしまった後もまだまだ『物語』に埋没していたく思った。


筑摩の松田哲夫さんがテレビで『満願』の話をしていた。
ああそうだよね、なんてことない短編だけどもいい話だよね。
ちょっと懐かしくなって『満願』あたりの時代のヤツを再読はじめる。
奇しくも生誕100年、右を向いても左を向いても太宰太宰だ。
今夜の『クローズアップ現代』でも今なぜ若者に太宰がうけているのかというような特集が組まれていた。
人間失格』を読んで「これはオレか?!」と熱病のようにシンクロしてしまうのが十代の正しい在り方だ、と思う。
なんであんなにかぶれたのかなー、と
自らの十代を振り返るといささか恥ずかしくなるが
あれはホントに多くの文学少年少女がかかる風邪のようなものなので仕方がない。
三十代になってよかったなーって思うことは
こうやって十代に読んだものを再読した時の感覚の変化を楽しめることだ。
三十三ともなればもうおばあちゃんですし*1
太宰が死んだ年齢に刻一刻と近づいているので
十代の頃、その苦悩に増長してしまうような読み方はしない。
なによりもこんな年齢になってしまって平々凡々な生活人となり
『選ばれてあることの恍惚と不安』 そんなものが自分にはどこにもないということに気づいてしまったかもしれないな、とも思う。
デカダン部分ばかりが先行してしまいがちだが中期あたりの明るさがすごく良いな。
文体のリズム感なんか凄まじい。駆け込み訴えなんて参ってしまう。
というわけで暫く再読は続くであろう。

*1:太宰の作品では24歳くらいで「おばあちゃん」と云う表現が多々ある