キス アンド クライ

一人になるとクラムボンをよく聴いてしまいます。
このメロディと郁子ちゃんの声に涙腺が緩む。
年をとるとやたらに泣けて困るなあ。
先日の日記でも書いたけれども年をとると時間の経過を早く感じるようになる、と思う。
だから消え去る一瞬一瞬、消え去ってしまったあの日あの時、に、我々は泪を流す。
ひとは、学ぶことが少なくなると一日、一時間、一分があっという間に感じてしまうらしい。
だから小学校の5時間目まではあんなに長かったのか。
いずれにせよ時がゴウゴウと流れていることを実感するのは怖い。
あの蒼い頃に戻りたいか?と問われれば僕のこたえはノーだけど。


学ぶ事は減ってしまったけれども
年齢を重ねてからの方が、少なくとも私は素敵な出会いが多い。
クラムボンを例にとっても、去年あたりから頻繁に聴くようになったものであり
こうやって大人になってから出会ったり好きになったものっていいなって思う。
静かだけど強い気持ち。想う気持ち。そこにはあんまり「負」が無い。
純粋。真白き処女のごとく真白きシーツに寝る生活。
若い頃好きだったものって過剰な自意識と逃避を含んで好きだったり
恋愛にしても若い頃の恋愛は共依存でしかなくて
僕の事を好きな君の事が好き、みたいな、不純不純。
否、純粋だったから?何より自分が可愛くて?自愛365日。


なんにもない僕の荒野を守る為
僕は僕以外の人があんまり立てていないような色の旗を荒野に杭打つ。


そうなのだ。
25歳あたりを境に、自分は、サブカルチャーに逃避しなくなったんだと思う。
それまでって、好きになる理由がヨコシマだったり天邪鬼だったり
好きを好きっていえないような風潮があったな。
みんなが好きなものなんてみんなとは違うあたしにはわかんない。というような。
きっと、もちろん、純粋に好きなものは好きなままで、ずーっと続いているけども。
とっかかりが不順な、そういう、サブカル踏み石みたいなものって「好き」が持続しなかった。
他の人はどうかしらないけど
年齢を重ねると自意識はどんどん粉々になる。
少なくとも私は25あたりで粉砕された。
何かになれると思っていたけれども何にもなれないことに気づいた。
と同時に何もなれないままやれる事があることにも気づいた。
マーケットの陳列棚にアートは転がっていた。
そして、まだ踏んでない場所がある、でもそれは大多数の人が踏んでいる場所だ。
みんながしているからすることって割とちゃんと意味があるのかもしれない。


みんながイイって言うものが自分にとってイイとは限らないけど
例えば流行り歌の中でも自分がイイと思えれば
素直にイイと言えるようになった、31年生きて、やっと。